もめん絲(いと)
1枚の布を囲んで女達は知恵を出し合う。今も昔も変わることがない、女達の光景がここにある。
会津木綿をかついだ愛らしいうさぎの人形。
土ねんどに漆を塗って仕上げている。
「もめん屋さん」 3,000円
伊勢から技術を持ち込んだのは蒲生氏郷。江戸時代に入って、保科正之が綿花・藍草の栽培を奨励し、普及した。
藍染と縞模様が会津木綿の特徴。 かつては、各地域に「地縞」と呼ばれる縞模様があった。 着物を見ただけで、どこから来たのか分かったという。
「絲(いと)」という字は、店名を決めるために辞書を引いていて、偶然に見つけた。 「漢字一文字の名前にしたかったし、木綿を扱っているからちょうど良いと思って」
1枚の木綿に託された想い。
「もめん絲」に置いてある会津木綿の小物やバッグは、ほとんどが地元の主婦達の手づくりの品だ。そこには、家事や育児の合間に1針1針ていねいに針を通した女達の愛情が込められている。
「昔の女達は木綿を大切にした」
と店を営む鈴木幸江さんは言う。彼女も地元在住の主婦だ。
仕立てた着物が古くなれば、布をついでもう一度着物を仕立て、子供に着せた。その着物が古くなると、今度は布を細く裂き「裂織り」で敷物をつくったり、雑巾にしたりした。
「新しい木綿を使うのはもったいなかった。もともと木綿はそういうものなんだよね」
かつて、1枚の会津木綿は何人もの女達の手を介して仕上がるものだった。
綿花を摘み、糸をつむいだ農家の女達。藍草を育て、染料をつくり、糸を濃紺に染めた女達。糸を機織りにかけ1枚の布に仕上げた武家の女達。
倹約の精神だけで木綿を大切にしたわけではないだろう。そこにあるのは「木綿」という1枚の布を仕上げた何人もの女達への愛情だ。
1枚のキルトがレジの上に飾られている。
藍染を使って渦巻きをデザインした勢いのある作品。鈴木さんの手によるものだ。
たくさんの端切れを使って、1枚の絵を仕上げるような芸術性のあるキルトやパッチワークも好きだという。
キルトやパッチワークも、布が大切だった時代に西欧の女達が生みだした「生活の知恵」だ。
そこには、余った布を使ってさえ暮らしを彩る物をつくり、楽しもうとする女達の姿が見える。
「今はパッチワークできるミシンもあるんだけど、やっぱり出来上がりがちがう。ゆがみもあるんだけど、それがいいのよ」
鈴木さんはあくまで手づくりにこだわる。時間を見つけては端切れをつないで「裂き編み」で作品をつくる。
「こんにちは」
と声がして、常連らしい女性が「絲」に入って来た。店に出す作品を鈴木さんに見せ、新しい作品をつくるための木綿を買っていく
「ちょっと待って。新しい柄が入ったのよ」
「それ、バッグにちょうどいいかも」
鈴木さんと女性の会話がはずむ。次の作品のアイデアが広がっているようだ。
1枚の布を囲んで、アイデアを出し合い、技を伝え、情報を交換する。今も昔も変わることのない光景。
「もめん絲」。
ここには変わらぬ女達の姿がある。
もめん絲(いと)
会津若松市七日町3-31
TEL(0242)27-8663
営業時間/AM10:00~PM5:30
定休日/木曜